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富士登山(記録)

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3,100mからの景色は飛行機からみる世界と似てました。

富士山へ登った。

盆前から体調を崩していた私が
登頂できたことは私の中で奇跡だった。
出発の前日は膝痛が悪化し
ゴミ出しに杖をついて行った程。
「こんなんで富士山なんて無謀だ…」

富士登山を決めてから一年近く
周りに明言し自分を追い込むことで挑戦を諦めない
意思を固めて行った。

来る日も来る日もため息をついては、いつキャンセルを
しようかと思っていた。
それでもギリギリまでトレーニングは続け
ザックを背負って隣の団地の急坂を上り下りしていた。
田んぼの見回りをしているおじさんが応援して下さる。
私の不調を知る身近な者たちからは、断念するように
諭された。
諦める事が賢明な判断だと言われ・・・
夜中、キャンセルしようとPCの前に座ると
2日前でPCからは出来なかった。

不安で一睡も出来ないまま
登山がスタートした。

27名のパーティー
広島からは私一人の参加。
2名のプロのガイドさんに添乗員さんが一人。

5合目から長く緩やかな下り坂が続き
高所に慣れたところでいよいよ本格的な登山開始。
痛み止めを飲み、吐き気と気分の悪さを
時折、山から流れ下りる空気が消してくれる。
うむ?僅かだけど不思議なパワーを感じた。

午後遅くのスタートだったので途中で日没。
ヘッドライトを点し
岩場を這うようにして七合目の山小屋に(鎌岩館)
たどり着いた時は、感極まって泣いてしまった。
これで終わりでもないのに。情けなや。

翌日は、一気に頂上を目指すのだ。
食欲はなかったけど、不眠症の私でも朝までぐっすり眠れていたので
取り敢えず、8合目までは行こうと思っていた。

8合目の太子館に着いたが
しだいに荒天に雷。

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山小屋太子館。部屋が4階でトイレに行くのに息切れを起こし夕食はキャンセルしました。

登山決行か否か山岳ガイドさん達の話し合いが続いていた。
固唾をのんで見守る登山者たちの中で
私は密かに
「中止になったらいいなぁ~」
と不覚にも一瞬思ってしまった。
よそのガイドさんは、危険なので中止が妥当と
言っていたが
「行ける所まで行って、それから判断をします」
という事で皆、ダウンの上に雨具という完全防備で挑んだ。

登山者に容赦なく雨は叩き付け、風は狂った様に吹き荒れる。
地面を踏ん張っていなければ、吹き飛ばされてもおかしくない。
ガイドさんが危ない時は、しゃがむようにと言われた。
手袋がビショビショになり、何度も絞った。
停まると超寒い!
(防水の手袋が必要だった反省)
2,000m級の山でも体が濡れると低体温性になることがあり
命が危険と聞いていたので恐怖が襲う。
ガイドさんのザックの雨カバーに溜まった雨水が風で
横に飛んでいた。

誰も愚痴ひとつこぼさず、ひたすら耐えて頂上を目指すこのパーティーは
さながら現代の修行僧のようだった。
山の洗礼を受けた後、いつの間にか雨は止み富士の稜線がクッキリと見え
遠く山中湖まで絵のように美しく見えた。


9合目近くだったと思う、
ガイドさんから
「今のままの歩き方では、頂上は難しいと思います。」
と指摘されてしまった。
私の姿に止めさせるべきだと判断されたのかもしれない。
それからだった。
「絶対に登りたい!」
ここまで来て諦めるなんて死んでも嫌だと思った。
マジで思った。
それからだった。
エネルギー点火!
老婆にしては、やる気がみなぎっていた。
生きてる事は命の炎を燃やす事だと思った。
ここが燃やす時なのだ、と思った。

ガイドさんから
「元気になったね」
と言われた。ニンマリ。

富士山の最後の鳥居をくぐった時は、
ただただ全てのものに感謝したい思いでいっぱいになった。
ザックの中に忍ばせて来た小さな主人と喜びをかみしめていた。
少しだけ亡き夫に近づいたのかもしれない。
確かに見守ってくれているのを感じている。
あの世とこの世、繋がっているんだね。
そう思った瞬間だった。
富士登山は人生観が変わるとまで言われる。
きっと人それぞれだと思うけど、これまでの人生を振り返る
貴重な体験だったと思う。
肉体の限界だったけど。
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富士頂上はガスって靄の中だったけど...

それにしてもプロの登山ガイドさんは、
私には神様に思えた。
凄い人っているんだね。
ほんとにお世話になりました。

まあ、そこから下山地獄が待ってるんだけどね。
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下山、ほぼバックで下りましたぁ~~~(;'∀')

ザックにミラーレスカメラ入れてたけど
写真を撮る余裕はなかったです。
ほとんどアイフォンでへばった状態で撮っています。
二日目の朝
8合目からのご来光は生涯忘れる事はないでしょう。
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#富士山
#登山













食の安全は~

この時期、ホームセンターの入り口には
除草剤が山のように積み上げられる。
なんとおぞましい事か。
確か根まで枯らすとかCMでも
流れていたラ〇ンド・〇ップがひと際目を引く。
この商品はヤバすぎて世界中で抗議デモが
起こっていて、米国に至っては訴訟問題にまで発展した。
多くの国が使用禁止となる中
バカ売れの日本市場。
その液体は、土に撒かれ
雨が降り、
大地に広がり
川から海へと流れ
そして食卓に返って来る。
厚生労働省は何の為にあるのか。
もはや機能不全かと思ってしまう。
不安でしょうがない...
来る日も来る日も
みんな、毒を食べている。
「食育」ってもはや死語なのか~
食は命で心と体を作っている訳で。

溢れるほどの加工食品と添加物まみれの
食生活。
これから暑くなって
瀑売れの清涼飲料水って
どれも石油を原料とした色素が入ってるんだよね。
うつ病や精神に異常を来す食品群の数々。
マーガリンなんて
心臓にも悪いトランス脂肪酸が含まれてるから
米国はとっくの昔に禁止してると言うのに
miyama1
その昔は、川と言えばお魚がいるのが当たり前で
エビさんもいっぱい、メダカさんもいっぱいでしたよ。


日本人て美味しいにこだわり
便利さにこだわり
国は日本の農業をおろそかにして
ほんとツケが来てる気がして
愚痴ってみました~

食の事、必死で訴えてる人発見しました!
参政党の神谷宗幣氏
彼の演説から→
『癌とか他の精神病、あと生活習慣病
日本人凄く増えてるでしょ
だから医療費だけでももう50兆いきそうじゃないですか
税金の全部医療費ですよ
中略
でも病気になるには原因があるの
中略
先進国で癌が増えているのは日本だけ
他の国は癌減ってます
全体的に
何故か...食事とか変えているからです
レポートが出てる
 日本人は知らない
癌の原因が食だって
そして安かろう悪かろうで
CMに踊らされて加工食品やレトルト食品ばかりを
食べている
若い子なんかね
それじゃないと美味しいって感じないくらい
味覚もおかしくなってる
お母さんの作ったおにぎりより
コンビニのカップラーメン食べたいとか
言うんですよ
そういう風にされることをカモだって言ってるの
何が大事で何が自分を守るものかって
いうのはわからない
自分から仕掛けられて罠に飛び込んで
いってる状態


食について言及している議員さんが
いること知ってビックリで嬉しい。

奇跡

ちょうど、桜の花が散った頃、突然
「ジャガイモを植えなさい」!?
という指令みたいなものが頭の中に浮かんだ。

ジャガイモ???
何々?
どういうこと~~

それから頭の中がジャガイモのワードでいっぱいになり、
ふとキッチンの野菜ストックを見ると
そこには、少し芽が出たジャガイモさんが。
これのこと...?
でも私、長いこと、生きて来たけど、一度も植えたこともなく、育てた事もなく。
どうして良いのか分からず、我が家の横で畑を作ってるMさんちへ。
「芽を2つくらい残して、そのまま植えたらええんよ~」
へえぇ~~~初めて知った、なるほど。
だって芽が出てるんだもの、確かにそうだわ、そうなるわ。
野菜は凄い!芽を出して最後の力を振り絞って次に繋いでいくんだから。

早速、畑を掘ってみる。固い。どこにしよう...どこに植えよう...
迷ってると体がさっと動いて我が家のブロック塀の近くに。
ここかぁ~
クワもなくただ草刈用のコテみたいなもので掘りまわす私。
石がゴロゴロ...足がしびれた頃、土の中から、キラッと光るものが。
あっ指輪だ!
その指輪は30数年前に失くした私の結婚指輪だとひと目で分かった。
土はついていたけど、裏に記念日と主人と私のイニシャルが見えた。
飛んで家に戻り、仏壇の前で号泣した。
主人が生きていたらどんなに喜んでくれただろう。
失くして一番ショックを受けていたのが主人で
宝石屋さんに私を連れて行って
もう一度、結婚指輪を買ってくれた。
「もう失くすなよ」と。


主人は亡くなって
お空から指輪が見えたのかな?
あのジャガイモの指令は主人だったのかな?
これって
「奇跡」?
奇跡だよね。

でもなぜ、指輪が隣の空き地に?
今は、畑と姿を変え、お隣さんが野菜を育てている場所だ。
そう言えば、私は炊事の時、出窓に指輪を外して置くことがあった。
それが生ごみの中に入ってしまった?!
その頃、主人の母と同居していた。
仕事から帰ると
義母は生ごみを空き地に捨てていて困った事があった。
田舎の人だからゴミを出すという習慣がない。
生ごみも肥料なのだ。
でも私ならその生ごみは収集車に
こうしてもう一度私の元に返る事などなかったはず。

どんなに探しても見つからなかった指輪が
三十数年の時を経てもう一度、私の薬指に輝いている。


jyagaimo
ジャガイモさん。
これは、お隣さんのだけどね。エヘヘ

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下が30数年ぶりに出て来た結婚指輪。

大山

「なぜ、あなたは山に登るのか?」
「そこに山があるから」
と応えたイギリスの登山家の有名なことば
を思い出した。

登る人、それぞれに思いが違っていて
そんな愚問も登らない人からしたら
頷ける。

今の私には答えも何もない。
登りたいからだ。

かつて夫は山に登っていた。
山の素晴らしさを切々と語ってくれたのに
その時の私は共鳴することもなかった。
体力も気力も時間もお金も使って
リスクもある登山のどこが良いのだろう...と。
夫と私のそのズレた時間を取り戻すために
山に向かっているのかもしれない。

大山は私の想像をはるかに超えた。
生易しいものではなかった。

前日、一睡も出来なかった私には登頂不可能のサインが点っていただろう。
千里の山も一歩からと
気合を入れてみるも
やっと一合目にたどり着いた時には
孫が入山届を書いている時に言った
「引き返す勇気」
という言葉が頭をよぎった。
体に異変が生じたら人に迷惑をかけるかもしれない。
自分のエゴで他人様に迷惑をかけるなんて許せないではないか...
こんなのろのろペースで何時間かかるだろう。
後から後から登山者がやって来て
私の前を通り過ぎていく。
根性だけで登れるような歳でもなく山でもない。

それでも何人かのグループに追いついた。
すると
「チョコレート、どうぞ」
と若い人が声をかけて下さった。
甘いものは持っているけどリュックを下ろす元気もない。
二つ頂いた。
とても甘くてエネルギーが体の隅々まで届く様な気がした。
そして心が満たされていく。
兎に角、登山者は優しい。
いつも思う事。
励まし励まされ笑顔になれる。
大自然が人を優しくしてくれる。
謙虚にしてくれる。
元気にしてくれる。
生き方を教えてくれる。
自然は偉大な教師だと思う。
共に頂上を目指す人がいっぱいいる。
久々に嬉しくなる。

少しの休憩で次への充電が完了。
休むって大事。

何より大山の美しさに魅了される。
感動に心、揺さぶられる。
これが
主人が私に伝えたかった事だと思う。
ありがとう!

夫が愛した山。
車椅子になってもひと目、見たいと出かけた大山だった。
二人で毎年の様に眺めた大山。
何度か涙で山が揺れた。
青い空に導かれる様に
夫の辿った道を私も登っていく。
2時間で登った孫が寒さに耐え2時間も私の登頂を待ってくれた。
待ちくたびれて9合目まで迎えに来てくれた。
登頂から下山まで8時間
私は主人の一周忌である10月、大山に登った。

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鍵掛峠から見た大山
10月19日夕刻
広島は快晴で意気揚々と出かけるも
山陰に近づくにつれ、雲がドヨ~ン...
ついには小雨
キャンプ場にて雨の中、寒さに震えながら孫とうどんを作って食べました。
大山はずっと雲の中...
それでも待っていると少しだけ雲が流れ雲間から大山が現れました。

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孫が始めて見る大山に
「あ、あれに登るの?エグッ!」と言ってビビってました。

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夏山登山道、ここから出発です。
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一合目まできつかったです。
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延々とこんな階段が続きます。

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山の神様に無事をお願いしました。

20221020no5.jpgやっと6合目の避難小屋到着

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山はいきなりガスります。
素敵な家族連れに会いました。後ろ姿ですけど、撮影許可をもらって撮りました。


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標高1,600mの表示は嬉しかったです。

20221020no8.jpg頂上まであと少し...

20221020no9.jpg頂上まであと少しが長いんですよ。9合目からの木道は滑るし、ふらつくと危険なので慎重に。

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20221020no11.jpg建物は避難小屋

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無事大山登頂 12:20
登山は、下山が大変なんですよ。
登ったら、下りなければならない...
当たり前だけど。
明るい内に下山できるかどうか不安でしたが
オレンジの綺麗な夕焼けに間に合いました。



















墓掃除

3時に目が覚めたので
4時過ぎに家を出て夫の眠る墓に向かいました。
まだ外は真っ暗でした。
田舎道は日曜と言うこともあり
ほとんど車にあうこともなく
どこまでも靄だけが立ち込めていました。

墓に行く前に誰もいない主人の実家に行こうと
大暮川という川に沿った狭い道に差し掛かった時
ふと私の婚礼の荷送りの日が鮮やかに蘇って来ました。
遠~~~~~い昔です。
父の運転する確かブルーバードという車に乗って
紅白の幕に
「寿」
と書かれたトラックの後をゆっくり走っていました。
(そういえば、こんな婚礼と分かるトラック見なくなりました。時代が変わったんですね)
この道で母が
「可哀想に、こんな田舎に嫁いで!」
と泣きながら言ったのを思い出しました。

この先に私の到着を待つ夫になる人がいる...
あの時の私と今の私はこんなにも違う。
あの時は愛と希望があって、いつか来る別れ何て
想像だにしませんでした。
もう私を待ってくれる人なんていない...
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広島の豪雪地帯で育った主人の故郷
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廃校になった小さな小学校は素敵な宿泊施設に

主人が遊んだ川
釣りをした川
通った小さな小学校

もう夫はいないのに
なんでいないの?
どうしていないの、と思ってしまいます。
主人はどこにいるんだろうなぁ~

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大雪の日、この神社に二人で行きました。
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もう秋桜が咲いていました。
「私も逝くんだから、大丈夫!」
涙を止める魔法の言葉を使ってしまいました。

朝の凛とした空気の中に
いてくれるのかな...
そんな心のやり取りが生きる過程なのかもしれませんね。